Chapter 1 スペイン
1941年、失踪した婚約者を追って桐野舞子はひとりスペインの港町に降り立った。
最後に受け取った手紙の消印をたどって、ここアンダルシアの港町カディスにたどり着いたのだ。
しかし時は世界大戦の真只中、頼るあてもなく言葉も通じない異国の地で彼女は一人途方に暮れていた。そんな中、一人の日本人が彼女を見かける。ヨーロッパ最果てのこの国で東洋人を見かけること自体珍しい。二人が出会うのは必然だった。
岩野文忠と名乗ったその男はスペイン内乱に参加した数少ない日本人義勇兵の一人だった。岩野は内乱の終わった後もスペインに残って便利屋の様なことをしながらこの街に暮らし続けていたのだ。
事情を聞いた岩野は仕事仲間2人と一緒にその婚約者探しを引き受けることにした。たいして大きくもないこの街で日本人ひとり見つけることくらい朝飯前だと思ったのだ。実際すぐに見つかった。しかし見つかったのは婚約者の方ではなかった。探しているこっちが「奴ら」に見つかったのだ。「奴ら」とはSS(アドルフヒトラー武装親衛隊)であった。
地中海を挟んだチュニジアにアフリカ軍団を展開しているドイツ軍は中立国とはいえ枢軸側よりのここスペインにも多くの兵員を送り込んでいた。SS管轄の刑務所にぶち込まれた岩野達「便利屋」の3人は期せずして探していた婚約者と出会う。金子大助と名乗ったその男は瀕死の深手を負っていたが、日本から舞子が捜しに来ていることを告げられると一瞬驚きと安堵の表情を浮かべた。しかし自らの命がもう長くはないことを悟っていた金子は自分のやり残した仕事を彼ら3人に引き継いでもらいたいと言ってきた。
日本の商社マンであった金子は中立国であるここスペインで、ヨーロッパ中の鉱山で採掘された鉄鉱石を日本に送る手配をしていた。戦争の足音が近づく中、列強各国の繰り広げる資源獲得競争は日増しに激しさを増して行った。そんな中、本社から送られてくる報告書に金子はひとつの疑問を抱くようになる。
「鉄の生産量が少な過ぎる。」
軍拡を進める日本の状況は遠く欧州にいる金子の耳にも入って来ていた。もちろん知りうる情報は限られていたが、本社が発表している情報と彼が送っている鉄鉱石の量が余りにもかけ離れていたのだ。
「おかしい。どこかに横流しされているのではないか?」
これまで送った量の鉄鉱石があれば連合艦隊があと三つは作れるはずである。金子は自ら送った鉄鉱石の行方を探るべく独自に調査を始めることにした。
中継地の港に赴いて現場の担当者から話を聞くなど、とにかく自ら動いて情報を集めて行った。するとそこには意外な事実が浮かび上がってきた。
彼の手配したバラ積み船はその殆どが日本には到着しておらず、どう言う訳か喜望峰の南に向かっていたのだ。もちろん喜望峰の先に港などありはしない。その先にある陸地と言えばただひとつ「南極大陸」だけであった。
Chapter 2 D.A.K
ドイツアフリカ軍団に加わることを条件に解放された岩野達便利屋の3人は外国人部隊の一員としてイタリア軍に編入させられてしまった。しかし折から始まったイギリス軍の反攻によりイタリア軍はエルアゲイラまで後退させられてしまう。苦しい闘いを続けて来た岩野達にこれ以上他人の戦争に付き合う理由はない。イタリア軍が西へと敗走する中、首尾よく自走砲を手に入れた岩野達はSSの手を逃れるため南へと逃走を始めるのだった。
途中、ダカールの町で彼らは懐かしい顔に再会する。舞子であった。彼女もまたSSの手を逃れてここダカールまでやって来ていたのだ。もちろん自分の婚約者が岩野達と一緒に来ていることを信じて。
婚約者の死を知った舞子の悲しみは周りにいる者全てから同情の涙を誘った。彼女にとってそれは長い旅路の果てに訪れた最悪の結末であると言えた。生きる目的を失った舞子は自らその命を断とうとしてしまう。だがいち早く異変に気付いた岩野達によって彼女は一命を取りとめるのであった。舞子は心の傷が癒えるとともに日本に帰ることを強く望むようになる。だが彼女のそんな願いもある事態によって到底叶えられないものになってしまう。帰るべきその日本があろうことか連合国に宣戦を布告してしまったのだ。
ここダカールは祖国を失った植民地フランス軍が本拠を置く地でもあった。本国がドイツに敗北する中、枢軸側、連合国側のどちらにも組みしない彼らの立ち位置はある意味微妙なものであった。そんな状況の中で連合国と戦争状態にある国の人間が現れたとなれば例えそれが女性であってもそのまま帰国させる事など出来はしない。それは岩野達3人にとっても同じであった。窮地に陥った岩野達はフランス側にある取引を申し出る。それはスペインの刑務所で舞子の婚約者から聞いた「ある話」を持ち出すことだった。
『南極』と言う言葉に司令官であるボアソン提督の目つきが変わった。どうやらフランス側も何かしらの情報を掴んでいるようだ。
折も折、ダカール港沖で一隻のドイツ軍潜水艦が拿捕される事件が発生した。曳航されてきたそのUボートには驚くべき事実が隠されていた。
発見された文書からこの艦の行き先が南極大陸であることが判明した。またこの艦は輸送用に改造されたものらしく、船体のほとんどが貨物庫で占められていた。積まれていた貨物はほとんどが工作機械であったが、中には明らかに人型を模して作られた作業用の重機と思われる物も積み込まれていた。マニュアルに従ってこれらを組み上げてみると、そこには高さ4mを超える一人乗りの機械(マシン)が現れた。いかにもドイツ製らしい非常に凝った作りのそれは、装甲が施されていることから重機と言うよりはむしろ兵器と言った方がよりしっくりくるようであった。
Chapter 3 タッシリ
翌早朝、岩野達「便利屋」の3人は背広姿のフランス人に叩き起こされた。テントの外には複数の輸送機が用意されており、そこには昨日組み上げられた例の「重機」も積み込まれていた。岩野達は行き先も告げられないままその輸送機に放り込まれてしまった。着陸と給油を繰り返しながら丸二日程飛ぶと、地平線の陰に岩山の林立する寂しげな渓谷が見えてきた。どうやらここが目的地のようである。輸送機を降りてさらに近づいてみると、渓谷のそこ此処には先史時代のものと思われる岩絵があちこちに描かれていた。それらはどれも写実的で芸術性すら感じさせる見事なものであった。
渓谷を少し入ったところで、例の背広姿の男と舞子が話し込んでいた。アランと言う名のその男は舞子の婚約者であった金子大助とは旧知の仲で、舞子のことも金子から聞かされて良く知っているようであった。
岩野達3人に対するこのフランス人の態度も二日前とは一変していた。それは岩野達が金子から仕事を引き継いだ「後任者」であることを舞子から聞かされたためであった。しかし当の岩野達は自分たちが実際にどんな仕事を引き継いでいるのか全く理解していなかった。ただ、今はそう言うことにしておいた方が自分たちの保身には有利に働いてくれそうなので、取りあえずはそうしているだけなのであった。
Chapter 4 火星の神
8年前に発見されたその岩絵は「火星の神」と呼ばれていた。
ヘルメットを被ったような頭には左右非対称の目があるだけで、その上にはフタの様なものが5枚ほど描かれていた。指は4本しかなく、全身はゴム製の服を着ているようにも見えていた。他の岩絵が人間や動物を写実的に描いている中にあって、この「火星の神」だけが実在しないものを描いていることから、当初これは信仰の対象として描かれた「神」の絵だと思われていた。だが調査を進めていくと、この岩絵が実際に実在する「何か」を写実的に描いたものであることが明らかになって行った。
渓谷の中程で、突然それは岩野達の視界に飛び込んできた。なんとも形容しがたい異様な「何か」が彼らの行く手に現れたのだ。それは巨大な石像であった。座った状態ではあるがそれでも高さは4m以上。身体に比べて短めな手足を備えたそれは潜水服を着た人間のようでもあった。頭に当たる部分にはバランスの悪い穴が二つ開いているだけで、顔らしきものは見当たらない。全身は鎧のようなもので覆われているが、経年変化がひどくほぼ朽ち果てる寸前の状態であった。三日前に見たドイツ製人型重機にも驚いたが、この「何か」の放つオーラは尋常ではなかった。それはまるでこの世のものとは思えない、現実にはあり得るはずのないモノの様であった。
驚きと恐怖で立ち尽くす岩野達を尻目に、アラン達は渓谷の奥へと進んで行ってしまった。それはまるでこの異様な光景も、彼らには見慣れた景色の一部に過ぎないと言った様子であった。名前を呼ばれて我に返った岩野達は慌ててアラン達を追いかけた。振り返ると、渓谷の入り口では例のドイツ製人型重機が輸送機から降ろされようとしていた。戦線からはだいぶ離れているであろうこんな辺ぴな所で、兵器として作られたそれを起動させることに、岩野は少なからず違和感を覚えた。
「敵の気配などどこにも感じられないが…」
あるとすれば、この「何か」の像からだけであったが、そんなことはまずあり得るはずがない。岩野達がフランス兵達に追いつくと、アランは何やら意味不明な事を話しかけてきた。
「地下にある施設は全て爆破します。石切り場の賢人がここを嗅ぎつけたようですので」
(地下の装置って何?石切り場の賢人って、誰?)
怪訝な顔を向ける岩野達をアランはしばらく見つめていたが、突然何かを思いついたような顔になるとまた渓谷の奥へと走り去ってしまった。
程なくすると例のドイツ製重機が岩野達の後ろに現れた。驚いたことに、1台だけかと思われていたそれはいつの間にかその数を6台にまで増やしていた。フランス軍はあの日のうちに接収したパーツを全て組み上げていたのだ。
恐らくドイツ人であろう重機の操縦者や、周りにいるフランス兵達も、辺りに漂う激しい敵意に気付いていた。それはダイナマイトの起爆レバーを握るアランにしても同じことであった。
Chapter 5 爆撃
帝国海軍航空隊がチュニジア南部の飛行場を飛び立って、既に2時間が過ぎていた。中嶋飛曹長は零戦の風防を開けたまま渓谷の真ん中に現れた巨大な穴を見下ろしていた。周囲10㎞程あろうかと思われるそれは干上がった川の上流に位置しており、付近には茫漠たる土煙が湧き上がっていた。何らかの理由で地面が陥没したものと思われたが、土煙に遮られて詳しい状況は分からない。穴の周囲では複数の兵士があわただしく走り回っていた。
随伴の偵察機が高度を上げるのを見て中嶋は自分達が敵地の上空に侵入したことを悟った。振り向くと味方の爆撃隊が土煙の中に突っ込んで行く。大穴の中央には照りつける太陽を反射する巨大な甲板のようなモノが見えていた。中嶋は湧き上がる土煙を避けて零戦を急上昇させると、周囲の異変に目を光らせた。中国大陸とは比べものにならない空の眩しさに目がくらみそうになりながらも、視界の端に映る僚機からは決して目を離さない。連合国と戦争を始めた以上、これから対峙するであろう敵のパイロットは今までの中国軍とは格が違う。我々より2年も前に戦争を始めた一流のプロ集団なのだ。中嶋は中国大陸では久しく感じなくなっていた緊張感で全身が武者震いするのを感じた。
目標上空を旋回しながら、中嶋は爆撃隊の動きを目で追った。投弾を終えた爆撃機は渓谷の岩場をかすめると、鋭い旋回を打って地面すれすれを駆け抜けて行く。その動きには十分な訓練に裏打ちされた絶対の自信がみなぎっていた。
「艦爆隊の連中、今日は張り切ってるな」
だが中嶋のそんな思いとは裏腹に、攻撃を受けた敵の「甲板」はかすり傷ひとつ付いていなかった。爆撃隊の駆る99艦爆はその性格上、大型の爆弾を積めるようには作られていない。高速で動き回る敵艦にギリギリまで肉薄して一発必中の爆撃を行うため爆弾搭載量が250㎏までに制限されていたのだ。
「相手が悪すぎる」
中嶋は艦爆隊の搭乗員を不憫に思った。しかし中嶋や他の隊員達は自分たちが攻撃しているモノについて十分な説明を受けている訳ではなかった。 作戦前の打ち合わせでは攻撃目標は連合国軍の大型要塞とだけ聞かされていた。要塞の攻撃に海軍航空隊が駆り出されること自体おかしな話だが、砂漠を海に見立てての作戦と言う事でいちおうの納得は出来ていた。しかしそれにしてもだ、その要塞が動くとまでは聞かされていない。ましてやその大きさが翔鶴型空母の3倍以上はあろうかと言う事も。こいつは一体何なのだ。連合国とはそれほどまでの科学力を持っていると言うのか。中嶋はこれまで中国戦線で積み上げて来た自信を軽く打ち崩されそうになっていた。
Chapter 6 突入
重機の操縦者達は敵の出現を予期していたようだった。穴の底からは巨大な「甲板」がせり上がって来ている。6台の重機は穴の底に向かって37㎜砲を発砲し続けていた。対空砲を改造して造られたそれは目標に向かって驚くべき速度で砲弾の雨を浴びせかける。しかし十分な手応えが得られなかった。徹甲弾の弾かれる甲高い音が渓谷の中に響き渡る。静かだった渓谷は一瞬にして戦場へと変わってしまった。
岩野達「便利屋」とアラン率いるフランス軍は、激しい敵意に押されて渓谷の奥まで逃げ込んで来ていた。事態の思わぬ展開にアランは激しい興奮を覚えていた。事前の予測を上回るとてつもない出来事が起きつつあると感じていたのだ。
便利屋のひとり、スペイン人のミゲルは日本軍による攻撃を食い入るように見つめていた。祖国の内戦にパイロットとして参加した彼は、上空で繰り広げられる巧みな連携攻撃に強い感動を覚えていたのだ。
「内戦の時彼らが味方してくれていれば、今頃スペインも違った国になっていただろうに…」
だがそれは叶うはずもない嘆息だった。
岩野は便利屋仲間のシュルワッツと舞子の姿が見当たらない事に気が付いた。さっきまではアラン達フランス軍と一緒にいたようであったが、そのアランは意味不明な叫び声を上げて走り去ってしまっていた。
そのシュルワッツは地面の陥没に巻き込まれていた。激しい衝撃で意識を失ったシュルワッツは、顔面を襲う激しい痛みで再び意識を取り戻した。その刹那、彼の視界に祖国に残してきた孫娘の顔が飛び込んで来た。軍事顧問としてスペインに招かれて以来、決して会うことのなかった家族の顔が走馬灯のように蘇る。
「いろいろあったが俺もここで終わりか。結局国に帰ることはできなかったが、もうじき家族のみんなにも会える…」
彼のいたポーランドの町はドイツ軍の攻撃によって完全に破壊されてしまっていた。おそらくは残して来た家族もみな…。シュルワッツはスペインの内戦が終わった後もすぐにポーランドに帰ることをしなかった。軍事顧問としての待遇に居心地の良さを感じていた彼は何となく帰国を先延ばしにしてしまったのだ。そのため、自分がいない間に祖国がドイツに侵攻されたことにシュルワッツは強い責任を感じていた。しかし実際にそれはその通りなのであった。ヒトラーはポーランドへの侵攻にあたって、著名な戦術家であるシュルワッツが最大の脅威になると考えていた。そのためヒトラーはスペインのフランコ将軍に、シュルワッツを軍事顧問として招き入れるよう進言していたのだ。そうすることでポーランドにおける勝利を確実なものにしようと考えたのだ。そして実際それはヒトラーの思惑通りに運んだのだった。
舞子はシュルワッツの顔面を殴り続けていた。平手打ちから始まって、いつしかそれは正拳突きに変わっていた。それは舞子が幼いころから通っていた空手道場で身に付けたものであった。土砂に埋もれたシュルワッツを掘り起こした時、彼は既にこと切れているようだった。昂る感情を抑えきれず舞子は泣きながらシュルワッツの頬をなぐり続けるのだった。
激しい痛みで意識を取り戻したシュルワッツは自分達がさっきまでいた渓谷とは全く違う場所に置かれていることに気が付いた。夢を見ているのだろうか、いや、顔面に残る激痛は明らかに現実のものだ。隣にいる舞子もひどく戸惑っているようである。辺り一面は木々に覆われており、周囲は穏やかな陽の光に満たされていた。朦朧とする意識の中、シュルワッツは自分たちがアダムとイヴのいた楽園に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥っていた。
岩野とミゲルは行方の分からない舞子とシュルワッツを探していた。爆撃隊の去った渓谷は彼らが最初に訪れた時の静寂さを取り戻しており、そこには数台の重機が乗り捨てられていた。重機の操縦者達はどこへ行ってしまったのだろう。あまりの恐ろしさに逃げ出してしまったのか。置き去りにされた重機を覗き込んだミゲルは、引き込まれるようにしてそれに乗り込んでしまった。複雑な外観とは裏腹にその操縦は意外なほど容易だった。各機器の操作性も滑らかで、さすがはドイツ製と言ったところである。ミゲルは一発でこのマシンに惚れこんでしまった。
一方の岩野はと言えば、こちらは少々手擦っていた。帝国陸軍、それも歩兵連隊出身の岩野にとっては自動車の運転すらままならなかったのだ。
エンストを繰り返す岩野を尻目に、ミゲルは陥没した地面の底へと降りて行った。そこには先程見えていた甲板が広がっており、地面の陥没によってできた断層には甲板につながる通路のようなものが見えていた。ようやく動き出した岩野を待って歩き出した2台の重機は腹部にある投光器を点けて通路の奥へと差し向けた。だがそれはかなり奥まで続いているようで、重機の大型投光器をもってしても奥の方は良く見えない。二人は意を決すると、通路の奥に向かって歩き始めた。暗い通路の中に重機の足音が響く。だがしばらく進むと岩野は何とも言えない違和感を覚えはじめた。
「ミゲル、気づいているか?」
「あ、ああ、何となくな。その、妙にしっくりくると言うか、サイズがな…」
その通路は明らかに人間を超えるサイズに合わせて造られていた。二人の脳裏に渓谷で見たあの恐ろしい「神の像」の姿がよぎる。しかしそんなことは絶対にあり得るはずがないと思いたい気持から、岩野達は必死に別の理由を探そうとした。しかし、そんな二人の思いを吹き飛ばすように、またしても衝撃的な光景が彼らの前に現れてしまうのだった。
Chapter 7 疑念
攻撃の最中、敵からの反撃は無かった。投弾を終えた艦爆隊にも目立った損害は見られない。帰還の途につく零戦の中、中嶋は先程まで自分達が攻撃していた「敵」のことを考えていた。
「土煙の中に見えた巨大な甲板、あれは一体何だったのだろう。本当に連合国が造ったものなのだろうか?」
中嶋にはどうしても、あれが自分たちと同じ人間が造ったもののようには思えなかったのだ。その思いはこの空域を支配する異常な気配を通じて、無線機を持たない僚機にも伝わっているようであった。
どれくらい経っただろう。気が付くと中嶋達は永遠に続くような砂漠の上を飛び続けていた。帰還予定時刻を1時間近く過ぎているにもかかわらず、一向に基地らしいものは見えて来ない。いかに航続性能に優れた零戦でも、もうそろそろ限界である。中嶋は乗機を後に滑らせると後続する僚機に手信号で合図を送った。
「着陸出来そうな場所を見付けたら、隊を離れて不時着する」
開戦間もないこの時期に、優秀なパイロットを2人も同時に失うことなど絶対にあってはならない。中嶋はそう考えたのだ。程なくすると2時の方向に滑走路らしきものが見えて来た。それは今朝中嶋達が飛び立った飛行場とは明らかに違うものであったが、今の彼らに着陸を躊躇している余裕はない。中嶋はバンクを振って合図をすると緩やかに乗機を降下させた。着陸コースに入るため3機の零戦は風下側に回り込む。しかし中嶋はそこで信じられない光景を目の当たりにした。着陸すべきその滑走路が、あろうことか空中に浮かんでいたのだ。
「いよいよもってこれは…」
中嶋は先程から抱いていた疑念がはっきりと確信に変わるのを感じた。振り返ると後続しているはずの僚機がどこにも見当たらない。燃料が尽きて墜ちてしまったのだろうか。いや、そうではなかった。2機の零戦は既にその滑走路に着陸していたのだ。それどころか二人の搭乗員は機から降りてこちらに手まで振っているではないか。何とも呆れた連中である。しかし中嶋はそんな彼らを見て少し頼もしい気持にもさせられるのであった。
Chapter 8 空中空母
滑走路に降り立った中嶋達は奇妙な感覚に襲われていた。
「空中空母…」
それはそうとしか言い表せないモノだった。着陸してはじめて分かっただのだが、この滑走路は単なる飛行場のそれではなかった。長さ500m。中攻(注1)の着陸にも使えそうなこの滑走路は巨大な空母の1エレベーターに過ぎなかったのだ。ゆっくりと降下していく滑走路の上で中嶋は自分達が小人にでもなったかのような錯覚に陥っていた。格納庫と思われるところまで降りて行くと、そこは見たこともない円盤型のマシンで埋め尽くされていた。
「小隊長殿、あれは航空機でありますか?」
「ペラも翼も付いてないが、取り敢えずそんな雰囲気ではあるな」
「それにしてもデカイですね。97大艇(注2)の倍以上はありますよ、こりゃ」
とにかくこれが連合国の作った新兵器ではない事は明らかだった。明確な証拠がある訳ではない。しかしこの「マシン」からはそう確信させる異様なオーラが放たれていた。だが驚いてばかりもいられない。今一番問題なのは、自分達が乗っていた零戦の燃料が尽きかけていることだ。それさえ解決してしまえば何もこんな奇妙な「空母」に長居する必要はないのだ。中嶋達は居並ぶ円盤型航空機から零戦にガソリンを移し替える方法を探っていた。幸い給油口らしきものはすぐに見つかった。これが航空機であるのなら恐らく燃料はガソリンである。となれば、後はポンプさえあればこれを零戦に移し替えることも出来るはずだ。しかし給油口のキャップを外して中を覗き込んだ中嶋は、着陸前に食べた航空弁当の巻きずしを思わず全部吐き出しそうになってしまった。
「血だ…。こいつは血で動いてやがる」
中嶋に続いてタンクを覗き込んだ僚機の2人も、そのありえない光景を前に顔色を失ってしまった。
「隊長、これは一体どう言うことなんですか…」
「分からん。この空母の事と言い、何もかもさっぱり分からん。しかしこれが俺達と同じ人間が造ったものでないことだけは確かだろうな。そうでもなければこんなモノは…」
血の力で動くマシン。それは人間の理解をはるかに超えた「魔性の兵器」と呼ぶにふさわしい代物であった。
注1.中攻=日本海軍では洋上艦艇を攻撃可能な爆撃機を陸上攻撃機と呼んだ。中攻は中型陸上攻撃機の略で、主に97式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機を指す。
注2.97大艇=川西航空機製の大型飛行艇。4発の発動機を持ったその全長は1941年当時、帝国海軍航空隊随一の大きさであった。
Chapter 9 円形闘技場(コロッセオ)
通路の行きついたその場所は古代ローマの円形競技場(コロッセオ)によく似ていた。中央に置かれた祭壇には、またしてもあの恐ろしい「神の像」が鎮座している。しかしそれは先程渓谷で見たのとは明らかに質感が異なっており、何らかの金属で造られていた。
事態は今やスペインの田舎町に暮らす一便利屋の頭では到底理解できない領域に突入していた。今岩野達が足を踏み入れたこの空間と、そこに鎮座するこの「神の像」はおそらく自分たちと同じ世界に住む人間が造ったものではなかった。それはどこか違う世界の誰かが意図的に残していった物であるように思われた。もちろん岩野とミゲルにその意図を理解することなどできるはずがない。それを知りたいと思っている者、おそらくは舞子の婚約者であった金子大助や、あのフランス人のアランであればそれを理解できたのかもしれない。しかし今、彼らはここにいないのだ。岩野はスペインの刑務所で金子から聞かされた話を必死に思い出そうとしていた。
「確かあの時、地下の広間がどうとか言ってたよな。いや、それは火星にある洞窟の話だったか。何かこれに似た事を言ってたような。ああ、もうちょっと真剣に聞いときゃ良かったな…」
…ちょっと無理そうであった。
Chapter 10 方舟
重機を降りたミゲルは祭壇に鎮座する「神の像」へと近付いて行った。間近で見るそれは初めて見る質感を備えており、まるで生きた金属を纏っているかのようであった。
「生きているのか?」
そう尋ねる岩野の言葉が自然に聞こえる程、それは今にも動き出しそうなオーラを放っていた。巨人の背中からは太いケーブルが伸びており、それはそのまま祭壇を取り囲む石の箱へと繋がっていた。箱には重そうな石の蓋が載せられており、そこには奇妙な文様が描かれていた。よく見ると広間のそこ彼処にも同じ文様が描かれている。ミゲルに続いて重機を降りた岩野は、足元にある石の箱に手を伸ばした。
「やめておけ!」
蓋を開けようとした岩野に突然鋭い叫び声が浴びせられた。咄嗟に振り向いた岩野が見たのは、こちらに向かって拳銃を構えるアランの姿だった。日本軍の爆撃以来姿を消していた彼が一体ここで何をしていたのだろう。状況が飲み込めない岩野の横で、今度はミゲルの方がアランに咬みついた。
「何だここは!このおかしな像は一体何なんだ?何をこそこそやってやがる。金でも隠してやがったのか?答えろ。お前は一体何者なんだ!」
スペインを出てからこっち、ずっと抑えていた恐怖と疑念でミゲルの怒りは今や最高潮に達していた。ミゲルにしてみれば、祖国の内戦が終わってようやく手に入れた平穏な日々が突然現れたSSや、この正体不明のフランス人達によっていとも簡単に奪われてしまったのだ。ミゲルの頭は怒りと悔しさで今や爆発寸前の状態だった。
ミゲルの思わぬ反撃でアランが一瞬たじろいだのを見ると、岩野は足元にあった箱をおもむろに開け放ってしまった。だが次の瞬間そこに現れた光景を見て、岩野は思わず腰を抜かしそうになってしまった。
「なんだ、これは…」
その箱は見た目通りの石棺であった。しかしそこに納められていたのは遺体とはほど遠い代物であった。簡単に言えばそれは生きたままの人間だった。だが正確には生きていない。何と言うかそれは、胴体と首が切断されたまま生かされている「かつて人間だったモノ」であったのだ。頭部と首からは太いケーブルが伸びており、それは胴体を通って石棺の内壁へと繋がっていた。両手両足は切断されており、その断面には金属製のキャップがはめ込まれている。だがそんな状態にもかかわらずその「人間」は呼吸をし、両方の目がじっと岩野の方を見つめているのだ。
義勇兵として戦ってきた岩野にとって死体を見ることくらい別にどうと言うことでもなかった。もっと酷い死に方をした戦友の死体も散々見て来た。しかし今回ばかりは勝手が違う。確実に即死であるはずの人間が、死ぬことも許されないままこの狭い箱の中に繋がれているのだ。岩野は慌てて重機に駆け込むと、込み上げてくる恐怖を必死に押し殺した。
「だからよせと言ったんだ」
先程とは変わり、やや呆れた口調になってアランが話し始めた。
「そこにあるのは食糧、いや正確には燃料と言った方が良いでしょう。金子からは何も聞かされていなかったのですか?いかにも彼らしい、肝心な事はなるべく話さない。昔からそう言う男でした。もっとも君達日本人はみな同じようなものですがね」
アランの人を喰ったような物言いに若干の怒りを覚える岩野とミゲルであったが、今目の前に広がっているこの光景の前ではもはやそんなことはどうでも良かった。いずれにしてもここから抜け出す方法はこのアランに聞く以外にはなさそうである。聞きたいことは山ほどあった。しかし今の彼らには、とにかくここから逃げ出す事の方が何よりも大事なことであったのだ。岩野に続いて重機に乗り込んだミゲルは37㎜砲をアランに向けると今度はゆっくりした口調で話し始めた。
「これがどんなに普通じゃないか、素人の俺達にも十分わかる。お前が企んでいることが何であれ別にそれを責めたりはしない。所詮おれたちには関わり合いのないことだ。だからもうこれまでだ。何も見なかったことにしてやる。その代わり今すぐここから出る方法を教えろ。返答次第ではお前もこの棺桶に入ってもらう。それまでのことだ」
ミゲル達が入ってきた入口はいつの間にか消えて無くなっていた。不敵な笑みを浮かべるアランの後でも先程までは確かにあった入口が今は無くなっているのだ。岩野とミゲルはこの広間そのものが巨大な生き物の一部であるような感覚に襲われていた。
「出口ですか、そんなもの私にも分かりません。この舟がどこに向かっているのかさえ全く見当もつかないのですから」
そう話すミゲルの言葉に今度は岩野が咬みついた。
「船?船って何だ。俺たちは今船の中にいるのか?おかしいじゃないか、ここは砂漠の真ん中だぜ。何で丘の上に船があるんだよ?馬鹿も休み休み言え」
「そうですね、日本人であるあなたにはおよそ理解出来る話ではないでしょう。舟が丘にあること自体ナンセンスです。しかしクリスチャンであるミゲル君であれば “丘の上の舟”の意味が分かるはずです。そうではないですか?」
そう答えるアランに、ミゲルの方を振り向いた岩野は暫くして、重機の無線機からうめき声にも似た呟きが聞こえて来るのを聞いた。
「方舟…ノアの方舟のことか…」
Chapter 11 塔(タワー)
舞子とシュルワッツは森をさまよい続けていた。人の気配はどこにもなく、あるのは穏やかな陽射しと動物達の息づかいだけだった。満ち足りた時間だった。半年前に日本を離れて以来初めて味わう安らぎがこの森には溢れていた。
「ここは一体何てところなんでしょう?世界にはまだ知らないところが沢山あるんですね」
だがシュルワッツが舞子の問いに答えることはなかった。なぜならシュルワッツは今朝からここに至る経緯をずっと思い返していたからだ。舞子に殴られて瀕死の状態に陥ったりもしたが、それまでのことは良く覚えている。問題はその後だ。おそらくここは地下のはずだが、なぜここにはこれほどの森が広がっているのだろうか。
「地下ではないのか?」
しかし地上でもないようだ。なぜならここから見える青空にはどこにも太陽が見当たらないのだ。周囲の状況が掴めないことにシュルワッツは何とも言えない恐ろしさを感じていた。
「あの崖の上まで行ってみましょう。ここがどこだか分かるかもしれませんよ」
そう言ったのは舞子だった。シュルワッツの気持ちを察した舞子が少し機転を利かせたのだ。
見晴らしのきくその崖に辿り着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。太陽は無くとも時間が来れば夜になる。それは何となく嘘くさいカラクリのようにも思われた。崖から望む二人の眼下には漆黒の森が広がっていた。
「あれは何でしょう?」
舞子の指さした先には、鈍い光を放つ巨大なタワーがそびえていた。遙か星空へと伸びるその姿は旧約聖書に登場するバベルの塔を連想させた。
塔(タワー)の麓に双眼鏡を向けたシュルワッツは、そこに異様な光景を目撃する。それは塔の周りを練り歩く数万もの群衆の姿だった。
「まるでヒトラーに群がるドイツ人だな」
そう吐き捨てたシュルワッツの顔は激しい憎悪に歪んでいた。シュルワッツにはここに集まった人々の群れがナチ党の集会で熱狂するドイツ人の姿と重なって見えていたのだ。
一方の舞子はちょっと興奮していた。
「御神輿(おみこし)はどこだろう?」
これだけの人が集まるのなら、きっとこれはお祭りに違いない。地元のお祭りを思い出して舞子はいても立ってもいられなくなっていた。
「シュルワッツさん、ちょっとあそこまで行ってみましょうよ。御神輿はないかもしれないけど、夜店くらいはあるかもしれませんよ。ちょっとおなかも減ってきたことだし。あの人たちに聞けばここがどこかも分かるかもしれませんよ」
そう話す舞子の言葉の意味をシュルワッツは1ミリも理解できなかった。それにヒトラーの幻影を見ているようで、出来ればあのタワーには近づきたくない。だがここがどこなのかを確かめるには舞子の言う通り誰かに尋ねてみるのが一番である。舞子に手を引かれて渋々歩き出したシュルワッツは、自分の中にある不安な気持ちが彼女の手のぬくもりによって少しずつ溶かされてゆくのを感じた。
30分ほど歩くと塔(タワー)の麓が見えてきた。塔に群がる人々は口々に同じ言葉を叫んでおり、それはある種異様な光景だった。ここがドイツであったなら人々が叫ぶその言葉は「ジーク ハイル!」であっただろう。しかしここでは違っていた。それは言葉ではなく、声ですらなかった。何と言うかそれは上手く聞き取ることの出来ない奇妙な『音』のようでもあった。
「シュルワッツさん、あれはどこの言葉ですか?」
「さぁ、少なくとも私の知っている言語の中でこれと似た音を持つ言葉はありません。アフリカの現地語ですかね。それこそ日本の言葉ではないのですか?」
群衆の発するその『音』には、人々の「想い」や「意思」のエネルギーが込められているようにも感じられた。
暫くすると、塔の中央が鈍く輝き始めた。それはまるで人々の発するその『音』にこの塔が反応しているかのようだった。最初、下の方に溜まっていたその光は徐々に上へと広がって行き、遂には塔全体が白く輝き始めた。群衆のボルテージは今や最高潮に達していた。遠巻きに見ていた舞子とシュルワッツは次の瞬間、耳を劈く大音響と共に稲妻のような光が天に向かって放たれるのを目撃した。それは圧倒的な光景だった。舞子達はそのあまりの迫力に思わずその場にヘタリ込んでしまうのだった。
Chapter 12 吸血マシン
ミゲルはひどく疲れていた。石棺の中身を見たショックも大きかったが、この重機に乗り込んでからずっとそれとは違う何かによって重圧(プレッシャー)を受けているような気がしていた。ひとつ気になることがあった。身体の疲れを感じ始めた頃から、ハンドルの中央にあるランプが点滅し始めていたのだ。車や飛行機であればランプが点滅するのは機械に異常があるか燃料が切れかかっている時である。見たところ燃料計らしきものは見当たらない。となればこれが燃料警告のランプだろうか。それにしてもどうしてこんなに身体が重いのだろう。それはまるでこのマシンに自分の生気を吸い取られているようでもあった。
岩野は既に気絶していた。石棺の縁に手を置いたまま、岩野の重機は完全にその動きを止めていた。朦朧とする意識の中、重機のマニュアルを探し出したミゲルはその最初の1ページを見て激しく動揺した。
『最大稼働時間(60分)を厳守すべし!さもなければ命の危険あり』
「そう言うことか…」
しかしもう遅かった。ミゲルの重機もまた石棺にもたれ掛かるように倒れこむと、そのままその動きを止めてしまうのだった。
どのくらい経っただろう重機の狭い操縦室の中、岩野は鼻を突く血の匂いで目を覚ました。気が付くと目の前の景色が全て血の色で染められている。操縦室全体が赤い光を発しているのだ。
「これは一体…」
ハッチを開けてミゲルの方を振り向いた岩野は、そこで驚くべき光景を目撃する。ミゲルの重機が下敷きになった石棺から赤い液体を吸い上げていたのだ。石棺の中身はあの「人間であったモノ」のはず。となれば吸い上げてられているその液体はそのモノの血、つまりは人間の「血」であるはずだ。岩野は恐ろしくなって急いで重機から飛び降りた。
「吸血鬼ならぬ吸血マシンとはな」
そう声を掛けたのはミゲルだった。だが重機の横でタバコを咥えるミゲルの顔には明らかに困惑の色が滲んでいた。
暫くすると、広間に置かれた無数の石棺が鈍い光を放ち始めた。その光はやがて石棺を結ぶケーブルを伝わって中央に鎮座する「神の像」へと注がれ始めた。
「こいつ、動き出す訳じゃないだろうな」
石棺の光を吸収した「神の像」は低い唸り声を上げると緩やかに振動し始めた。
「ミゲル、今のうちに逃げるぞ!このままじゃ俺たちも殺されちまう。」
このあり得ない状況の前では誰もがそう考えるはずだった。だがミゲルだけは違っていた。
「…殺る…。まだ上手く動けない今がチャンスだ。今のうちに奴を殺るぞ!」
度重なる恐怖と怒りでミゲルの思考は少しおかしくなっていた。再び重機に乗り込むとミゲルは人型重機の持つ37㎜砲を「神の像」へと振り向けた。ハンドル中央の点滅はもう無い。さっきまで感じていた妙なプレッシャーも今は感じなくなっていた。ミゲルにつられて重機に乗り込んだ岩野も、操縦室に充満していた血の匂いが無くなっている事に気が付いた。生き血を吸う機械など正直触りたくもなかったが、一旦乗り込んでしまうとそこは先程までとは違う居心地の良さに満たされていた。何者にも冒されない絶対の安心感。そんな感覚を感じながら岩野も重機を「神の像」へと向けた。
Chapter 13 森の街
シュルワッツはさっき見た稲妻のことを考えていた。普通、稲妻は空から地上に向けて落ちるものだ。ところが先程のそれは地上から空へと「落ちて」行った。となれば、稲妻が達したその先には地上と同じ地面かそれに代わるものがあるはずだ。シュルワッツはそう考えてたのだ。
一方、舞子はここに集まった人達のことが気になっていた。どうやらこれが単なるお祭りでないことは分かった。だが今ここにいる人達は一体どこからやって来たのだろう。
「きっと近くに町があるんですよ、シュルワッツさん。それもかなり大きな。そうでなければこれだけの人は集まりませんよ」
確かに舞子の言う通りだった。見たところ、この塔に集まった人達の数は優に5万人を超えていた。それはシュルワッツのいた町の人口をも遥かに超える数だった。舞子とシュルワッツは森の中へと消えて行く人達のあとを追って足早に歩き始めた。しかし塔の入口に差し掛かったところでシュルワッツはその扉に描かれた絵を見て思わず息を呑んだ。
「火星の神…」
そこには飛行機を降りて最初に見たあの奇妙な岩絵が描かれていた。偶然ではない。この絵は明らかにあれと同じものを描いている。となればこの奇妙な姿をした「人物」こそが彼らの崇める「神」なのだろうか。シュルワッツはその見慣れない「神」の姿を見て、何とも言えない胸騒ぎを覚えた。
舞子はひとり森の奥へと入って行った。森の木々は星明かりを遮り、辺りは漆黒の闇と化していた。その時、森の奥に微かな光が灯った。それは人家の灯りのようでもあった。
「シュルワッツさん、あそこに家がありますよ。この先に町もあるんじゃないですか。早く行ってみましょう。あれ?あ!あ、あーー!!」
舞子の叫び声にシュルワッツが振り向くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「何だ、これは…」
それは光り輝く街だった。突然漆黒の暗闇に現れた近代的な街並み。いや、それは未来的と言った方が正しかった。
全ての建物は森の木々を超えないようにその高さを抑えられており、美しく舗装された道路がそれらの間を繋いでいた。街は塔を中心にして放射状に広がっており、道路は車道と歩道に分けられていた。森の奥へと伸びる車道は半地下式になっており、そこには路面電車や流線型の自動車が滑るように走っている。歩道には色鮮やかな服を着た人々が行き交い、みな楽しそうな笑顔を浮かべていた。街全体が森に溶け込むように造られていることから、この街が全体として良く計画されて造られたものであるのは明らかだった。
「バウハウスが目指したのもきっとこんな街だったんだろうな」
それはドイツを憎むシュルワッツにしては意外な独り言でもあった。
一方、舞子のテンションは今や最高潮に達していた。横浜育ちの彼女は幼いころから港に出入りする外国船やヨーロッパの進んだ文化に強い憧れを持っていた。婚約者を捜すためとは言え、舞子が独りスペインにまでやって来たのもそんな憧れのなせる技であったのかも知れない。そんな彼女の前に、突然色鮮やかな服を着た人々や光り輝く街が現れたのだ。舞子はシュルワッツの腕を掴むと信じられない強さで引き寄せた。
「早く行きましょう、シュルワッさん。ここが何て街かは知らないけれど、きっと素敵なとこですよ。だってあんなに輝いている街なんて私、今まで見たこともない。何か食事が出来るところもありますよ、きっと。さあ早く!」
そう言ってはしゃぐ舞子の顔には婚約者を失った悲しみの影はどこにも見当たらなかった。それは自分の孫娘にも似たこの少女が、スペインの港町で会って以来、初めて見せる楽しそうな笑顔であった。
Chapter 14 対決
ミゲルの放った徹甲弾は全て「神の像」に弾かれていた。それでもなお突進を続けるミゲルを見て岩野は心底感心していた。3年以上戦場から離れている今の岩野に帝国陸軍仕込みの突撃精神はもはやどこにも残されていない。それにも増して今回はばかりは相手が悪過ぎる。一体どうやったらこの「神の像」を倒せるのか?岩野には全く見当もつかなかった。しかしそれはミゲルの方も同じだった。ミゲルは頭に血が上って行動のベクトルがおかしくなっているだけで、実のところ自分でもこの「神の像」を倒せるとは思っていなかったのだ。その間にもケーブルを伝った鈍い光が「神の像」へと注がれ続けている。よく見るとそれは血管のように脈打っていた。「神の像」の放つ異様な殺気は今やこの「コロッセオ」全体に広がっていた。それはこの巨人の吐き出す「息」によるものであったのかもしれない。
「打つ手なしだな…」
「神の像」の目の前まで来て、ミゲルの重機が突然その足を止めた。彼の異常な戦意をもってしてもこの巨人-「神の像」の放つ強大な殺気には叶わなかったのだ。もはやこれまでかと思われた。だが次の瞬間、岩野の重機が突然巨人の背後から襲いかかった。
「動脈だ!このケーブルを引きちぎれば、こいつは簡単に倒せるぞ!」
石棺の生き血を吸ってパワーの増した岩野の重機はおもむろにケーブルを掴むと呆気なくそれを引きちぎってしまった。その刹那、巨人の背中とケーブルから悲鳴のような無数の『音』とまばゆい光が吹き出した。
「何だ、これは?」
「耳が痛い。頭が、頭が破裂しそうだ…」
そこには舞子とシュルワッツがあの塔で聞いた奇妙な『音』と眩い光が飛び交っていた。数万の「声」と人々の「意思」が一瞬にして岩野達二人の意識に飛び込んで来たのだ。重機の中でなかったら恐らく彼らは即死だっただろう。それ程の衝撃が二人を襲ったのだ。
「床が抜けるぞ!」
ミゲルの声が聞こえた時、岩野は既に空中へと投げ出されていた。落下して行く重機の中で岩野は自分達のいた場所を初めて外から確認した。
「方舟…」
それは初めて見る船だった。巨大な船体を見上げながら岩野はなぜ自分がそれを「方舟」と思えたのかが不思議でならなかった。アランに言われたせいなのか。だが感慨にふけっている時間はない。今この瞬間にも彼らの重機は地面に向かって落ち続けているのだ。
「ケーブルだ、ケーブルを離すな、イワン!」
岩野はミゲルからイワンと呼ばれていた。その度にロシア人ではない岩野はイラっとさせられていたが、今はそれどころではない。今や方舟から繋がったこのケーブルだけが彼らの命綱になっていた。眼下には漆黒の森が広がっている。しかしそこに突然巨大な影が現れた。舞子とシュルワッツのいたあの塔が彼らの真下に現れたのだ。落ちてゆく2台の重機の眼前に塔の屋上が迫る。だが次の瞬間、重機の掴んだケーブルが目いっぱいに伸び切った。間一髪だった。このケーブルがあともう少し長かったら、彼ら二人は確実にこの屋上に叩きつけられていた。そう、あと1m長かったら…。
動揺が収まるのを確認して、二人の重機は塔の屋上に降り立った。そこは屋上と呼ぶにはあまりにも広い空間だった。床は鏡のように滑らかで継ぎ目らしいものはどこにも見当たらない。
「あれを見ろ、またここにも居やがるぜ」
ミゲルの指さしたその先には、またしてもあの忌まわしい「神の像」が据えられていた。しかしそれは先程見たものより大型で、長い尾を持つその姿は人間というよりも狼のそれによく似ていた。よく見るとこの「巨人像」は屋上の四隅に一体ずつ据えられていた。ミゲルはそのことに別段意味があるとは思わなかったが岩野の考えは違っていた。「神の像」を倒した事で岩野は少しだけ自信を取り戻していた。自信は恐怖に打ち勝つ武器になる。岩野はここに来てようやく持ち前の洞察力を発揮し始めた。
『四隅の像はどれも尾っぽを空に向けている。方舟がその上にあるのは偶然ではないな。あの中にあった「神の像」はケーブルの光と奇妙な音を吸い込んでいた。それは奴のエネルギーになるもののようであったが、それを吸ってあの巨人が動き出すことはなかった。となると、あの「巨人」はそのエネルギーを中継する役割を果たしていたことになる。ならば、ここにある4体の像もその音と光を中継する為に据えられていると考えるべきだな』
それはあくまでも岩野の考えた仮説に過ぎなかったが、それは大筋において真実の一端を突く鋭いものであった。
Chapter 15 港(上陸)
「潮の匂いがする」
そう言われたシュルワッツは慌てて周囲を見回した。彼の育ったポーランドではこんな深い森のそばに海があることなどあり得ない。森は森、海は海なのだ。しかし舞子のいた日本では違っていた。山がちな地形の多い彼女の国では、森を抜けた先が海になっていることも決して珍しいことではなかった。
「さっきのレストランで食べたお魚、とても美味しかったでしょう。塩加減もちょうど良かったし。何て魚かは良く分からなかったけど、あれはきっとこの近くで獲れたものですよ。でなければあんなに新鮮で美味しいはずがないもの。きっとこの近くに港があるんですよ。ひょっとしたら横浜みたいな大きい港かもしれない。そうだとしたらいいのになぁ」
そう話す舞子の瞳は今まで以上に輝いていた。
森の向こうには緩やかな斜面が広がっており、そこにはホテルのような建物が並んでいた。ホテルと海の間には良く整えられた美しい街並みが続いており、その先には舞子の予想した通り大きな港が設えられていた
「ほら、言った通りでしょ」
この森に入って以来、シュルワッツはめまぐるしく変わる周囲の状況について行けなくなっていた。歳のせいか、初めて目にする物を上手く吸収できなくなっていたのだ。となりではしゃぐ舞子を見てシュルワッツはあらためてそのことを実感させられた。
「見て、あそこに大きな船がある。暗くて良くは見えないけど、あの煙突に描いてあるのって日本語みたい。あれって日本の船かしら」
それは日本から来た移民船だった。良く見ると港のそこ此処に似たような船が停まっている。それらはどれも大きくはあったが、決して立派とは言えないものだった。
「シュルワッツさん、あそこ。沖の方にもいっぱいいますよ。みんな港に入る順番を待っているのかしら」
双眼鏡を覗いたシュルワッツは沖に見える船を数え始めた。
「1、2…10…15…、50隻以上はありそうだ。しかし一体どこから来たんだ。国旗を見る限り日本の船だけじゃなさそうだが…」
日本、イタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、中国、フランス、ソ連。それこそ世界中の人々がこの美しい港を目指してやって来ていた。彼らにとってここはそれ程までに魅力的なところなのだ。だが確かにそれは頷けた。舞子とシュルワッツが迷い込んだこの街は世界中の人々を引き付けるに足る十分な魅力を持っているように思われた。
「私、出来れば日本の船に乗せてもらいたいな。そうしたらきっと日本にも帰れるでしょ。この街はすごく素敵だし、もっとここにもいたいけど、やっぱり私、父さんや母さんのことが気になるわ」
それはもっともな考えだった。しかし日本からやって来たこの少女は自分の婚約者探しに協力してくれた岩野とミゲルのことを完全に忘れているようだった。二人の行方は未だ分からないままなのだ。そのことに気付いたシュルワッツは少し意地の悪い言葉を舞子に投げかけた。
「日本はアメリカと戦争を始めました。ここが海を隔てたアフリカである以上、例え日本行きの船に乗れたとしても無事日本に帰り着けるとは限りません。恐らく途中で沈められてしまうでしょう。岩野とミゲルが後でそのことを知ったら、彼らはきっと悲しむでしょうね。それにアメリカの国力を考えれば、既に日本は占領されているかもしれない。あなたはそんな所に本気で帰ろうと言うのですか?」
そう話すシュルワッツの言葉に反応したのは、なんとその岩野だった。「塔(タワー)」を降りて森をさまよっていた岩野とミゲルが舞子達を見つけて合流して来たのだ。
「今のは聞き捨てならないなシュルワッツ。日本がアメリカごときに負けるなんて。いいか、日本は神国、神の統べる国だ。神様がヤンキーどもに負ける訳ないだろう。そんなことは断じてあり得ない。分かったな。分かったら二度と俺の前で同じことを言うなよ!」
実のところ、この辺の話は岩野との間では禁句になっていた。何事も合理的に考えられる岩野であっても、こと祖国日本の話となるとおよそ狂信的なことを話し始めるのだ。しかしそれは岩野が取りたてて特別な訳ではなかった。それは程度の差こそあれ日本人なら誰でも持っている、いや祖国を離れたものであれば誰でも持っている愛国心と言う名の「信仰」であったのだ。
意外にも、舞子はシュルワッツの話を良く理解しているようだった。それは半年に及ぶ船旅の経験が、彼女をして日本に帰ることが容易でないことを分からせたようであった。
「いずれにしろ船は無理だな。あそこを見ろ」
ミゲルの指さした方に目をやると、そこには今まさに上陸を開始したドイツ軍機械化部隊の姿が見えていた。その襟元には東部戦線を恐怖に陥れたあのSSのマークが縫い付けられている。シュルワッツは全身に電気が走ったような緊張に襲われた。岩野とミゲルは戦車に続いて降ろされたドイツ軍のマシンを見て激しく動揺した。
「重機だ。奴ら人型重機まで装備してやがる。それに奴の持っているあのデカイ大砲は何だ?」
「88㎜砲(アハトアハト)か。俺たちの豆鉄砲とはえらい違うな」
事態は今や急展開を見せていた。ここが何処の何て街かは分からないが、上陸してきたSS1個中隊に対抗できる戦力をこの街の連中が持っているとは思えない。ここにはむしろ戦争とは関わりのない、平和と繁栄を享受する恵まれた市民の姿しか見られないのだ。早ければ今夜中にもSSによる占領は完了してしまうかもしれない。とにかく今はここを離れて森に逃げ込んだ方が良さそうだ。ミゲルと岩野は先程乗り捨てた重機を取りに森の奥へと戻って行った。
「シュルワッツさん、ドイツと日本は同盟を結んでいるんですよね。だったら私、あの人達の所に行ってきます。日本人だと分かればきっと話を聞いてくれるんじゃないですか。SSと言っても同じ人間なんですから、話をすればきっと分かってくれますよ」
そう話す舞子の言葉にシュルワッツは何とも言えない説得力を感じていた。
「同じ人間…か…」
何てことないその一言が、今のシュルワッツにはこれまでにない重みを持っているように感じられた。それは人間ではないモノの影が見え隠れしているこの状況が、シュルワッツをしてそう思わせているのかもしれなかった。しかし例えそうであったとしても、まだ成人もしていない娘一人をSSの部隊に向かわせることなど出来るはずがない。少なくともそれは良識のある大人がすることではないはずだ。
シュルワッツは舞子の腕を後ろから掴むと岩野達を追って森の奥へと走り出すのだった。
to be continued